イスラーム世界・キリスト教世界に対する、エルサレムに関する呼びかけエルサレムのためのムスリム・クリスチャン会議にて

ベイルート・6月14-16日

慈悲深く、慈愛あまねきアッラーの御名において

 全世界、宇宙の主アッラーに称えあれ。ムハンマドとその祖先アブラハム、その兄弟モーゼとイエス、ならびに全ての預言者とその家族、教友、信者達に平安がありますように。

 私はまず、至高の神アッラーに対し、この会議の開催と、聖なる都のために私達に力を授けてくださったことを感謝したいと思います。また、アラブ諸国と聖なる都のために勇気をもってこの会議を支持してくださった中東キリスト教会議に対し、感謝を申し上げたいと思います。

 私はここで、エルサレム問題に関係がある人々、団体のあり方について話しあい、何がしかの提案、勧告をしたいと思います。

1.ムスリムのあり方

 私達がエルサレムとその大義について語るとき、それは何を意味するのでしょうか?それは私達ムスリムにとってどんな意味を持つのでしょうか?ムスリム・クリスチャン・ユダヤ教徒にとっての聖地であるアル・アクサーモスクと岩のドームの問題を伴うものでしょうか?それとも、国家の運命、未来の世代の問題を伴うものでしょうか?

 実は、その意味あいは、これら全てのものから発生しているのです。それは、至高のアッラーと、アッラーより下された全てのメッセージ、全ての預言者、使徒、エルサレムをパレスチナ国家の輝ける首都、祈りの都とするための、私達の義務に象徴される、包括的な大義なのです。

 エルサレムはアブラハムが移住して以来、祝福された都となりました。トーラーには、アブラハムは、アッラーのもとでの結束を信じる、信心深い聖人がエルサレムの統治者であったときに移住してきたことが記されています。その統治者はアリボシーンという名の、カナーン族の族長でした。

 エルサレムの神聖さは、全ての神聖な啓示宗教の預言者―アブラハム、ダビデ、ソロモン、モーゼ、イエス、ムハンマド<彼らに平安あれ>―の存在よって生じたものです。私達はダビデ、ソロモン、モーゼ、イエスら、エルサレムにいた全ての預言者を信じ、年を経るごとに増した、エルサレムの神聖さを信じています。愛すべきイエス・キリストがこの地で誕生したことにより、この聖地にさらに神聖さが加えられることになりました。預言者ムハンマドの、アル・アクサーモスクへの<夜の旅>は、私達がエルサレムの神聖さを信じる、もう一つの理由です。

 私達は預言者の間に区別を設けません。なぜなら、アブラハムやダビデ、ソロモン、モーゼ、イエスは、私達の預言者ムハンマドと同じ預言者達だと信じているからです。私達は、預言者ムハンマド<彼に平安あれ>の敵に対峙するように、彼らの敵にも対峙するのです。ムスリム達の努力により、この地はさらに聖なるものとなりました。ゆえに、アラブ諸国は、エルサレムを守り、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラーム教徒の礼拝の自由を守るにもっともふさわしいのです。

 何世紀にもわたり、ムスリムはエルサレムに奉仕する光栄に浴し、また、この地を守護してきました。その間、エルサレムは全ての人々に開かれ、信教の自由、行動の自由が保証されていたことは、歴史が証明しています。

 イスラームの支配下において、カリフのオマル・イブン・アルハッターブは、軍隊のエルサレムへの侵攻を拒絶しました。ムスリムはシリアの地を征服することを計画しましたが、エルサレムに軍隊が入らなかったことは、歴史を学べば明らかなことです。なぜならエルサレムは尊厳ある地位にあり、聖なる都であったからです。ムスリムの軍隊がビザンチン帝国からエルサレムを分離させたときは、距離をかなりおいてエルサレムを包囲しました。エルサレムは、ムスリムのカリフのみに対し、鍵が渡された都でした。エルサレムの支配者ソフロニウスは、オマル以外の人間に鍵を渡すことを拒絶しました。その日から、エルサレムは、<アル・コドス―聖なる都>という名で呼ばれるようになりました。

 カリフのオマル・イブン・アルハッターブは聖墳墓教会での礼拝を主教達に薦められましたが、それを拒否しました。彼は、もし自分がここで礼拝をしたら、ここをモスクにしようとする一部のムスリムに、その口実を与えてしまうのを恐れたからだ、と拒否した理由を説明しました。

 集約すれば、アッラーに祝福されたエルサレムとその周辺の地の守護、その神聖さの保護、人々の権利、アラブ人とムスリムの支配地域の守護は、イスラームの誓約の一部であり、その誓約は、ムスリムの子供が誕生するたびに更新されてきたようなものでした。イスラームは全ての圧政に反対するものであり、圧政をしくものではありません。そして、人権を分け隔てなく守り、暴力的なことをするものではありません。ゆえにイスラーム支配下の<アル・コドス>は、<平和の都>でした。

2.イスラエルのあり方

 イスラエルの支配下ではしかし、アル・コドスは<紛争の都>です。アル・アクサーモスクでは、悲惨な虐殺が起こりました。イスラエル兵とユダヤ人入植者が、武器を持たない礼拝者をモスクの中庭で殺したのです。1968年、複数のシオニストがモスクに放火し、破壊しようと企てました。1967年以降、シオニスト達はアル・アクサーモスクの廃墟の上に神殿を建てるために2億ドルを割り当てていました。シオニストの伝道集団であり、イスラエルとつながっている<エルサレム・テンプル団>は、年間1億ドルを神殿建設のために寄付していました。この目的は、ベン・グリオン首相の次のような宣言によって明らかにされているでしょう。<イスラエルはエルサレムなしには意味を持たず、エルサレムは神殿なしには意味をもたない。>アル・アクサーモスクと岩のドームの下にトンネルを掘る工事は続いていますが、これは、イスラームの聖地を崩壊させ、神殿建設を企てるものです。それこそが、シオニストの主な目標の一つなのです。

 もしこれまでの13世紀にわたる歴史を学べば、ムスリム、クリスチャン、ユダヤ教徒がこれまでパレスチナ、エルサレムで共存し、これらの地は誰でも出入りできたことがおわかりになると思います。しかし、シオニストとイスラエルの政策が、ユダヤ教徒達を、ムスリムとクリスチャンを脅かさなければ生きていけないまでに追い込んだのです。

 イスラエルのエルサレム占領以来、彼らはエルサレムをユダヤ人だけの都にしようとしてきました。強引な政策により、ムスリムとクリスチャンは強制移住させられたのです。複数の著名人によれば、今やエルサレムのユダヤ人口は、ムスリムとクリスチャンを合わせた人口を上回っているということです。

 一例を挙げれば、クリスチャン人口は1967年以来激減しています。1967年、エルサレムには38000人のクリスチャンがいましたが、今ではわずか12500人となってしまっています。本来、自然増加率に基づけば、今は12万人になっているはずなのです。

 なぜこのようなことが起こっているのでしょうか?それは、イスラエルによる、ムスリム・クリスチャンの土地、宗教施設の没収、エルサレムなどからの住民の追放が行われたためです。この変化の深刻さは、1918年の、パレスチナの全人口70万人のうち、ユダヤ人の人口は、そのうちの8%にあたる55000人であったことからもわかると思います。

3. 西側のキリスト教会のあり方

 多くのプロテスタント教会が、イスラエルの建国を支援しました。それは彼らが、新約聖書の最終章、<ヨハネの黙示録>が現実のものになると夢想していたからです。ヨハネによれば、イエスの千年王国は、ユダヤ人が再びパレスチナに国家を建設するまで実現しないことになっていました。この考えは、キリスト教的シオニズムのイデオロギーとなり、これにより、シオニズムは西側の教会や、パレスチナはユダヤ人のホームランドであると宣言した、イギリスのバルフォア卿のような、高い地位の人々の支援を受けることになったのです。今や、多くの団体、特にアメリカの団体が、過去に自らが犯したこと(ユダヤ人排斥)の罪滅ぼしに、シオニストを支援しています。このような団体の数は250以上に上ります。その一つの例が、1980年に設立された、<インターナショナル・クリスチャンエンバシー・オブ・ジェルサレム>で、23カ国の教会、1000人以上の会員がいます。

 1985年8月、スイスのバーゼルで、ある会議が開かれ、次のような声明が出されました。

<ここに集まった我々代表と多くの教会とその信者は、イスラエルとの団結を表明する。ユダヤ人はこれまで、自らを脅かしてきた、悪徳や有害な勢力に立ち向かってきたことを我々は認める。我々はクリスチャンとして、過去、キリスト教会がこれまでの歴史の中で、ユダヤ人に対し公正でなかったことを認める。我々はユダヤ人迫害から40年を迎えるにあたり、イスラエル支持のために、ヨーロッパ内で団結することを表明する。>

 以下は、この会議での決議の一部です。

1.バチカンに対し、イスラエルを認めるよう呼びかける。

2.全ての国家に対し、エルサレムはイスラエルの永遠の首都であり、大使館をエルサレムに移動するよう呼びかける。

3.ジュネーブの<世界教会会議>に対し、ユダヤ人と約束の地とに、聖書に基づく関係があることを認めさせる。

4.ここに集まった代表達は、エルサレムが<主の王国>となることが現実のものとならんことを祈り、待望する。

 このような団体の圧力により、アメリカ議会で、エルサレムをイスラエルの首都と認める議決がなされたのです。

 しかし、同じプロテスタント教会の中に、こうした風潮に反対する、<ナショナル・カウンシル・オブ・ザ・チャーチ・オブ・クライスト>という団体があることは、重要な点です。この団体は、複数のメディア・センターを持っており、彼らは、シオニストと連携した、人種主義的なプロテスタント団体に立ち向かうという、重要な活動をしています。 

5.エルサレム問題に対する、アラブの教会のあり方

 一般的に、アラブ人キリスト教徒たちは、このような、イスラエルを支持するプロテスタント団体の態度に対し、強く反発しています。また、彼らは、1993年12月30日に、カトリック・シオニストとイスラエルとの間に結ばれた、ある条約についても批判しています。ロンドンの新聞によれば、その条約は、占領地でのイスラエルの地位を認めるもので、パレスチナ人の権利を奪い、土地を没収することを支持するものでした。

 この条約は、西側のカトリック教会とイスラエルとの、特有な協力関係を表しています。

この条約は、世界のカトリック教会に影響を及ぼすことは確実です。

 これらの行動に対する、アラブの教会からの反対の一例を紹介します。それは、1967年8月16日付の<アル・アンワル>紙(レバノン)に掲載されたパスリウス・サマハ司教による論文<シオニズムがカトリック教会にもたらす危機>です。以下はその引用です。

 <シオニズムは、キリスト教が自らの目的達成の妨げになることに気付いている。パレスチナのキリスト教徒に対する冷酷な仕打ちは、その危機感に基づくものであり、彼らの信仰の否定を目的としている。また、シオニズムは、バチカンの法王庁の権力―各国に政治的影響力を行使する―の乗っ取りを夢見ている。‘シオニストによる議定書・第十七‘には、次のようにある。

‘バチカンの法王庁が、何者かによって攻撃され、狂気に満ちた人々が押し寄せたとき、我々は虐殺を阻止する守護者として現れるだろう。そして我々は、法王庁の中枢に入る。

そうなれば、何者も我々を追放することはできない。我々は法王の権力を破壊する者となるだろう。>

 シオニズムは聖書を最大限利用するために引用するが、それらはみな、見当違いだったり、何の裏打ちのないものである。また、聖書の解釈を借用し、パレスチナ支配の正当性と、アラブ人クリスチャンより優位であることを証明しようとしている。

 聖書の節を弄ぶことは、冒涜以外の何物でもなく、邪悪なシオニストとそれに追従する者たちの目的達成のための、悪意に満ちたねじまげである。

 今、世界のシオニスト達は、信者と聖職者との間に地雷を埋め、猜疑心を生じさせようとしている。彼らが一度、聖書の解釈をねじまげたら、次は教会間の分裂を起こそうとするのである。彼らは、ユダヤ人が、キリストの磔に関し、無罪であることを教皇庁に宣言させることに成功した。>

 この会議の開催を呼びかけた、中東キリスト教会議が、先に述べた、1985年にスイスのバーゼルで開かれた会議の決議に反対する声明を1988年に出したことは、忘れてはならない点です。声明は次のようなものでした。

<我々が理解しているように、我々には、あの会議が、悪意に満ちた政治的性格を帯びたものであることを、キリスト教各派、国際世論に対し伝える義務がある。また、シオニストが旧約聖書と宗教的感情を利用し、イスラエルの建国を図ったことを非難する。>

6.国際機関とエルサレム問題

 1967年のエルサレム占領の後、同じ年の8月に、イスラエル政府は、エルサレムは不可分にして、永遠の、イスラエルの首都であると宣言しました。そのわずか1週間後、国連安全保障理事会は、イスラエルの宣言に反発し、東エルサレムは占領地であり、イスラエルはエルサレムの地位に関し、法的権利を有していないこと、イスラエルだけでエルサレムの処遇を決められないことを記した、複数の決議を採択しました。これらの決議は、イスラエルによる、エルサレムに関する宣言は、国際法上無効ことであることを示したものです。

 1967年以前、以後も、国連総会や安全保障理事会でイスラエルの行動を非難する多くの決議が採択されました。一例を挙げるならば、1969年の安保理決議267号は、エルサレムに関しこれまで出された決議を確認するものであり、イスラエルが国連の2つの決議(決議242、338号)を無視し続けたことに対し遺憾の意を表すものでした。理事会は、エルサレムに関するイスラエルの行動を厳しく非難し、エルサレムを首都とする宣言を無効とすることを強調しました。さらにイスラエルに対し、このようなことをこれから先、行わないよう求めました。

 国連安保理は、論理的な見地から、エルサレムに関する見解は変えませんでしたが、決議は実行されませんでした。一方、イスラエルはその間に、国際法や国際機関を無視し、思いのままにエルサレムと占領地のユダヤ化を推し進めています。

 この状況を見るに、国連安保理は、二重基準を持っていると思わざるをえません。安保理は、エルサレムと占領地に関しては、完全に無力となっています。ところがその一方で、他国に対しては、決議が出しだい、迅速な行動が起こされている例が見られるのです。

 私達ムスリム、クリスチャンは、聖地エルサレムでのイスラエルの圧政と戦うために団結し、パレスチナとパレスチナ人、クリスチャンと教会、ムスリムとクルアーンのために、アッラーの絆を強くする必要があります。それは、私達の国の権利を守るための絆です。

サマハ司教は、このように言われました。

<輝かしい歴史の中で、私達クリスチャンとムスリムは、共に国家とアラブ民族主義に奉仕してきた。私達はこれからも、植民地主義とシオニズムからアラブを守るために、兄弟愛を深め、力を合わせねばならない。私達の歴史は、こうした協力関係に満ちている。エルサレムにムスリムの軍隊がやってきたとき、クリスチャンは彼らを歓迎した。彼らはカリフのオマルへの忠誠、協力、愛のしるしとして、エルサレムの鍵を彼に渡したのである。

ムスリム達は誓約を守った。カリフ・オマルは、聖墳墓教会の外で礼拝をしたため、ムスリム達はその後も、教会をモスクにするよう要求することをしなかったのである。もし、このような協力の例を歴史の中で探そうとすればきりがないだろう。しかし、私達は、パレスチナがアラブの地、エルサレムが永遠にアラブの都市でありつづけるために、協力し合うことで新たな歴史を作っていかなければならない。>

 最後に、今までお話ししてきたことに基づき、以下のような提案、勧告をしたいと思います。

1.中東キリスト教会議の、エルサレム問題に関する確固たる意思とその役割に感謝し、この姿勢をこれからも維持し、このような友好的、協力的関係を教会間に広げていくことを求めます。

2.国連安保理の不公正な二重基準、パレスチナ人の権利の保護とイスラエルの占領と、占領地のユダヤ化に対して無力であることを非難します。

3.全ての国家に対し、弱い国家に対して不利である、国連における拒否権の廃止を求めるよう呼びかけます。

4.中東キリスト教会議が、イスラエルと結びついた西側の教会に対し、その姿勢を変え、福音教会、プロテスタント教会の中に、エルサレム問題の公正な解決を支援するための組織を作るよう呼びかけるよう求めます。

5.エルサレムを守るための、国際的なムスリム・クリスチャンによる協議会の設立を求めます。この協議会は、世界中にいる、エルサレムの保護を訴える個人や、キリスト教団体、イスラーム教団体で構成されなければなりません。

 この歴史的な会議の場をかりて、アラブのキリスト教徒の兄弟達の、パレスチナ、エルサレムの人々の権利のために立ちあがった、勇気ある姿勢に感謝を申し上げたいと思います。また、私達が、エルサレムを未来のパレスチナ国家の首都、平和の都とし、また、三大宗教の全ての信者達に開かれた平和の象徴の都市、世界平和を願う人々にとっての安息の地とするために呼びかけを行い、行動することで合意したことは、私にとって大きな喜びであります。