信仰と人間家族の結束
講義と提案  1993年11月3―6日 日本・綾部

慈悲深く、慈愛あまねき神の御名において。神のご加護と平安が預言者ムハンマド、イエス、モーゼ、そのほか全ての預言者たち、神の使徒たちにありますように。

親愛なる皆様、私はまず、大本教団と、この会合を開いてくださった方々に感謝の意を表したいと思います。この会合は、神を信じることによって結ばれた兄弟たちの間で、善行を行なうという、人間の義務によって開かれることになりました。

私は、偉大な啓示宗教の信者たちが、互いに知り合い、愛し合い、協力し合うことを阻んでいる壁を取り払うためにこうして会することは、重要であると思います。これからの10年は、信仰を持った全ての人々にとって、実りあるものになるかもしれません。

なぜならば、人々は今や互いを知り、絆を深め、人類に貢献するために協力し合うことを強く望んでいるからです。

このような会合は、人々の間の壁を破り、対立を煽り、信仰ある人々を抑圧し、分断と憎悪を作り上げた、偏狭な聖職者たちによって作られた社会的通念を取り払う力となります。

私達には、苦痛に満ちた初期時代とは対照的に、愛、理解、助け合いを説いた、献身的な聖職者たちがいます。過去の悪習は人々と聖職者の間に隔たりを作り、無信仰と堕落、深刻な社会問題を生みました。誤った自由主義と、社会的な容認が基準となり、その結果、エイズと薬物乱用は、今や核戦争以上に私達の将来を脅かしています。

人々は信仰に背を向けました。愛や純粋さ、貞節さ、助け合いの精神が、欲望、エゴイズム、淫らな性行為、他の人間を支配したいという欲望などに取って代わられました。

正義、公正を訴えるのではなく、信者を盲従させ、狂信的行為を扇動する聖職者も現れました。私達が生きる近代的、科学的世界では、人々はもはや、不可解なもの、迷信にはもはや満足しません。人々は「真実」を強く求めているのです。

ゆえに私は、聖職者の義務は、若い人々の間に不可知論を広めることばかりではないと考えます。彼等の悩みの種である、心の戸惑い、目的の喪失、絶望に対しても責任を持たなければなりません。若い人々の理想の追求の欠落に対し、聖職者たちは彼らに模範を示すことが出来ます。、彼等が教えられたことを実践するとき、その教えが理解を促進し、他の人との協調のなかで崇高な大志を達成するするという人生の模範を示すのです。

私たちは、家畜を酷使することも許されていません。ムハンマドは、動物たちも私たちと同じく、神を賛美している、とも言われています。ゆえに%$%9%i!<%`$O!"<+A3$H$N6&@8$N$9$Y$r65$($F$$$k$N$G$9!#

 

預言者たちの教えに立ちかえることは、すばらしいことではないでしょうか。私たちは、彼等が人々に対して行なったことをすべきではないでしょうか。

私たちは、彼等の人間性、愛情、正直さを見習うべきではないでしょうか。

モーゼは、彼の民を教化され、彼等を抑圧から解放したのではなかったでしょうか?

イエスは、彼の弟子の足を自ら洗われたのではなかったでしょうか?また、人々に愛や慈悲、慈愛の心を説かれたのではなかったでしょうか?

ムハンマドは、聖典クルアーンを人々に伝え、知性と、魂の浄化を説かれたのではなかったでしょうか?

 

もし、アブラハムやモーゼ、イエス、ムハンマドや他の預言者たちが、今、この世に戻ってこられたならば、協力して人々を神のしもべとして結集させ、人間性の問題を解決するために行動されるでしょうか? それとも、互いに対抗心を燃やし、信者の獲得を競うようなことをなさるでしょうか? また、自らの教えを確かなものにするため、うそをでっちあげたりなさるでしょうか? 私たちは彼らによって、人々が愛情や幸福によって満たされるのを見るでしょうか? それとも、人々に憎悪や堕落の心をうえつけるのをみるでしょうか? 彼らは貧困や抑圧を解決するために共に行動されるでしょうか? それとも、搾取や侵略を煽ったりなさるでしょうか? そのようなことはありません。

彼らは真の預言者であり、彼らの伝えることはただひとつです。彼らの啓示の源はひとつであり、目的もひとつなのです。

 

親愛なる兄弟、姉妹の皆さん、もし私たちが本当に神が喜ばれることを求めるのであれば、人の心の中にある無知と憎悪を根絶し、純粋な形の信仰を人々に広めるために、手を取り合って共に行動しなければなりません。この行動の目指すものは、全人類のための愛と調和です。貧困、飢え、病、そして家を失うようなことはなくなるでしょう。強い者は弱い者を助け、富む者は貧しい者を助け、無知と混乱は取り除かれ、人々は天上の楽園に入る前に、地上の楽園を見ることになるでしょう。

 

端的にいうと、これこそイスラームが唱えるものなのです。そして私は、キリスト教徒、ユダヤ教徒、他の宗教の人々を、イスラームを確実な情報から―事実が歪められた情報からでなくー学んでもらうために招待しています。そして、彼らは、イスラームが全ての神聖な宗教間の結束を呼びかけ、知られているかいないかにかかわらず、全ての預言者を信じていることを学ぶことになります。全ての預言者たちは、その前に遣わされた預言者の啓示を確証し、啓示を完成させたムハンマドまでそれは続きました。ムハンマドはこの点について、「私に似た者、私の前の預言者たちは、家を建てた方々である。その家を見て廻る人たちはその建て方や美しさを賞賛するが、あとひとつ石があれば完成なのだが、と言う。私がその石なのである。」と言われました。ムハンマドは、自分のみが真実を携えて来た者であるとは言われませんでした。彼の前の預言者たちは皆、真実を携えていました。彼は、家を完成させるために来られたのみなのです。

 

イスラームは、前に存在した神聖な宗教を確証するために興りました。イスラームの独特な点は、全ての預言者を賛美し、信者たちに動機と信念を持って神聖な法に従うように説いている点です。その法は人間に、個人、社会、家族などあらゆるレベルでの幸福の達成のために、自らの意思で宗教的な取り決めに従うことを命じています。そしてさらに、全ての神聖な宗教の下での「人間家族」の形成を呼びかけています。それは全ての人々に公正、平等、平和をもたらす、ひとつの巨大な国の形成です。この考えは、人類愛を主張するものなのです。

 

キリスト教徒、ユダヤ教徒、他の宗教の人々は、私たちが日に5回の礼拝のときに唱えるクルアーンの中に、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、ノア、アーロンなど「トーラー」に出てくる預言者の教えが入っていることを知っているのでしょうか?

また、私たちがムハンマドの教えを朗誦するのと同様にイエスの教えを朗誦していることを知っているでしょうか?

私たちは、預言者たちはトーラー、福音書、クルアーンを信じるそれぞれの民に排他的でないと信じていることを知っているでしょうか?

クルアーンでは、預言者は全ての民族に遣わされたとしています。全ての民族のもとに創造主によって、神の法を教え、現世と来世での幸福をもたらすために使徒、預言者が遣わされたのです。

 

私たちが正しい信仰の道を歩み、全ての人々に結束を呼びかけ、また、兄弟愛の絆を強くするよう呼びかけるようになることは、素晴らしいことだと思います。私たちは偏見と近親憎悪を終わらせるために協力せねばなりません。このことは、人間の性格の中にある、慢性の病気を治すことになるでしょう。私たちは、人間社会の中の大きな不幸、戦争、破壊的傾向を取り除きたいのです。私たちは恐怖感、自殺願望、絶望感を幸福感と満足感に変えたいのです。そうすれば神は喜ばれるでしょう。そして、キリストの生誕2000年を迎えるまでに、全ての宗教の指導者達は、人々を不幸や偏見から救うために、神の言葉のもとに結集することになるでしょう。そして彼らは人々に本当の幸福、平和に至る道を示しー神がお望みであればー神の国を地上に建設する努力をするでしょう。

クルアーンにはこうあります。

「告げなさい:行動しなさい。私はあなたがたの行ないを見るでしょう。そして使徒たちも、信者達も。」(9章「改悛」105節)

 

平安が皆様にありますように。

 

 

提案

慈悲深く、慈愛あまねき神の御名において。 ムハンマド、イエス、モーゼその他全ての預言者、使徒達に神のご加護と平安がありますように。

 

このグランド・ムフティの提案・スピーチを始めるにあたり、今回ご招待してくださり、善行をなし、人類のより良い生活のための努力を共に行なう機会を作ってくださった大本教団に、感謝の意を表したいと思います。

 

こんにち、世界は大きな苦難に満ちています。人類は技術を発展させ、以前よいものを手に入れたにもかかわらず、です。この二十世紀には、国土を荒廃させ、幸福や共存を破壊した戦争がいくつもありました。これらはすべて人が、幸福を得る真の方法をとらずに自分の幸福を追求したことに原因があります。その真の方法というものは、これまで隠されてきたものでもなく、知られていなかったわけでもありません。しかし、イデオロギーや誤った願望により、今まで避けられてきたのです。

 

これらのイデオロギーが意図したように、今世紀の人々は貧困と、以前は存在しなかった病気に苦しんでいます。ポルノグラフィーのような堕落を蔓延させたり、邪悪な性格で他の人に悪影響を及ぼしている人間が見うけられます。人は孤独感をおぼえたりすると、傷ついた野獣のようになってしまいます。本能的に暴れたり、解決法を探したり、助けてくれる人を求めたりせずに自殺したりしています。彼の病は彼の素晴らしい人間性や、彼を人を愛す心へと動かすかもしれない良心を破壊します。アッラーはクルアーンの中でこう呼びかけられています。

「まことに、あなたがたの教団は1つの教団であり、わたしはあなたがたの主である。ゆえに、わたしを崇めなさい。」(21章「預言者」92節)

このように、アッラーは人々が幸福を達成するように、教団をこの世に置かれたのです。この、神による人間への呼びかけは、各人がどのような宗教か、どのような人間かについて言及していません。なぜなら、イスラームは、唯一神アッラーへの信仰を呼びかけるのみのものではなく、差異を超えた人類愛を呼びかけるものなのです。このことに関し、ムハンマドは次のように言われました。

「兄弟愛と慈悲の心を持った信者の模範は、体の器官のひとつが病気になったとき、他の器官に用心を促す、体のようなものである。」

 

今や、国連のような国際機関が無力であり、当初の素晴らしい目的が幻のようになっています。私達は信仰する者として、宗教の旗印を掲げる者として、私たちを隔てている不統一をなくし、正しい信仰のために行動しなくてはなりません。それこそが真の信仰であります。信仰は戦場に分け入り、そこに光、正義、寛容、平和を広める先陣でなければなりません。人類の繁栄をもたらし、慈悲や愛の心など、人々が失っていたものを少しずつ教えこむものこそが信仰なのです。アッラーは、ムハンマドの義務に対してこう言及しておられます。

「私があなたを遣わしたのは、万民に対する慈悲によるものである。」

  (21章「預言者」107節)

それは特定の民族、特定の教団のためではなく、全人類のためなのです。しかし、もし人々が、自らをとりまく悲劇的な現実を見なければ、みすみす世界を崩壊させてしまうでしょう。私は、私達の宗教的義務は、世界の主な教団の指導者が、寛容な心を持った人によって率いられていることを象徴する機関をつくることだと考えています。

その機関は、あらゆる抑圧や堕落などに政治的、理性的に対抗するのが望ましいでしょう。

また、この機関は、国連と密接に連携し、こんにち私たちが直面している問題の解決にあたり、人々の社会的地位を向上させ、人権を擁護できるものと考えています。

 

私はまた、家族や社会を大切にする、分別ある人を育てるために全ての宗教がそれぞれ果たす役割を記した本の作成を提案します。こうして育った人は、国際人として、協力を模索する人となるでしょう。

アッラーはクルアーンの中でこう言われています。

「互いに助け合って正しいことを行ない、信仰を深めていくようにしなさい。互いに共謀して罪を犯したりしてはならない。」(5章「食卓」2節)

 

平安が皆様にありますように。