永遠不滅の価値―人類生存のための価値転換に関するグローバルフォーラム
京都・日本・1993年4月17―23日

最も恵み深く、最も慈悲深き創造主アッラーの御名において

学長、学者、紳士淑女の皆様、私はまず、「あなたがたに平安がありますように」という、イスラーム式のご挨拶をしたいと思います。このグローバルフォーラムの副議長として、皆様に、日本の文化、歴史の中心である美しい都市、京都でお目にかかれたことを、大変嬉しく思います。

科学、技術、文化、芸術の分野のめざましい発展にもかかわらず、世界の至るところになおも不幸にさいなまれている人々がいます。たとえば、最も発展している国の中にも、飢えたり、家がなく、最低の生活水準で暮らす人々が見うけられます。このような人々は、先進国のヨーロッパ、アジア、アメリカ各国を含む世界の全ての地域にみられます。

また、狂信が引き起こす地域紛争(宗教それ自体が悪いのではなく)にともなう抑圧や迫害もみられます。国連やヨーロッパ共同体のような、世界の平和を維持する機関は無力でした。これにより、こうした機関の真価が疑問視されるようになりました。これらの機関は本当に世界平和のために尽くしているのか、それとも各国の国益のために動いているのか、という疑問が生じたのです。

これらの機関はある問題の解決にあたる一方で、ある他の問題についてはは机上の空論のままであったりして、二重基準を持っているようにみうけられます。時には大国が国連安保理で拒否権を行使するなど、世界平和のために機能しているのか、疑わしくなります。

親愛なる皆様、20世紀に生きる人々は、エイズのような伝染病、性感染症、民族の分裂、環境破壊などの深刻な危機に直面しています。大気や水質、土壌汚染が砂漠化や温暖化、フロンガスによるオゾン層破壊につながっているのです。

しかし、さらにこれらと同じくらい大きな問題があります。それは、多くの人々の間 で愛情と慈悲の心の欠如がみられることです。あらゆる社会の基本的な構成単位であった家族の分裂は、家族に対する個人の責任感を希薄なものにしました。その結果、離婚率の増加、 子供の家出、兄弟間の対立、麻薬の乱用などの問題が発生しました。このような崩壊 現象は、家族の中にだけでなく、一般的な人間関係の間でもみられるようになりました。
 
 現代人がおちいり、自身の存在を脅かしているこれらの問題の要因について自問した 時、私たちは神聖な法のもとでの人間同士の結びつきを弱めた、個人的な、あるいは 国家的な、宗教的なエゴがそこにあることを認めざるをえません。これにより、各人の道徳心、すばらしい人間性が破壊されたのです。そのような人々の一部は、行動せずに預言者や賢人達の知恵をもてあそぶようなこともしました。こんにち、世界には、自分達が最も優れていると考える人々がいます。彼らは、自分達には、数々の非道―レイプ、民族の強制追放、民族浄化と称する虐殺行為―を行なうことが許されていると信じています。
 
人類の船を沈没から救うために、公正な神の法、預言者、力ある人が必要です。さらに人々を無知や無秩序から解放する必要があります。その実現には、完全な奉仕、自己犠牲の精神、全人類のために尽くす努力が私たちに要求されます。
 
 
抑圧者と被抑圧者、飽食した者と飢えた者がいる限り、そこに平和は来ません。私たちは、自らを「家を完成させる最後の石」と位置付けた預言者ムハンマドによって完成された教えに立ちかえらねばなりません。
 
 人々に他者への愛、すなわち、自分が望むことを他者にも行なうという理解ある愛を 教えるのは、知識や魂の純化です預言者ムハンマドはこう言われました。
「誰でも、自ら望むことを兄弟に対して望むまでは、信仰とはいえない。」と。
 
このような価値観は、人を拝金主義や無知、迷信やセクト主義から解放します。それはまた、人を神―創造主であり、白人と黒人、強者と弱者、豊かな者と貧しい者とを 区別しない方―への信仰へと導くのです。
 
預言者ムハンマドは、創造主の公正さについてこのように言及されています。
                         
 
「公正さをもって、アッラーの前に証言しなさい。たとえそれがあなた自身、両親親
戚に不利な証言であるとしても。」(第4章「女」135節)
また、こうもあります。
 
「アッラーは正義と善行、親戚を助けることをお命じになり、不公平と悪行を禁じ給うた。」(第16章「蜜蜂」90節)
ムハンマドはさらに、このように強調されました。
 
「神は弱者にも平等の権利を与えられ、人々が不正義をなすことを望まれない。」
 
 
このことから、ムハンマドは高い道徳心と高い道徳の規準を身につけることを訴え、もし自分自身が誰かを不当に扱った場合や、公平に施しをしなかった場合は指摘するように人々に頼まれるほどでした。
 
 
ムハンマドは、誰かを肌の色や人種、宗教の違いによって虐待する行為を非難されました .彼は人々に対し、啓典の民に敬意を払うよう呼びかけ、保護するよう命じらました。
 
これは全て、人々が信仰の自由を持ち、義務を守り、権利が保証され、邪悪なものが存在しない生産的な人間社会を作るために命じられたことなのです。
 
 
国際的な機関はしっかりとこのような権利、価値観を守るべきでしょうか、それとも、次に挙げるような裁判官のようになるべきでしょうか。
 
その裁判官が有名になり始めていた頃、隣人たちが彼の家にやってきて、彼らの所有する牛が彼の敷地に入って野菜や花を踏み荒らし、鶏も殺してしまったと言いました。裁判官はそれを聞いて、怒り狂って彼らをののしり始め、補償と、その牛をただちに と殺することを命じました。すると彼らはこう答えました。「わかりました。・・いえ、すいません・・私達は間違っていたようです。その牛は私達のものではなく、あなたの所有でした。」裁判官は少し間を置き、せき払いして、それから法律書を持って来させました .そしてしばらくして、隣人たちのもとに戻ってくるなりこう言いました。「私達は、この件に関しもっと調べ、法律家、専門家に意見を聞かなければならない。」それから彼は口ごもってこう言ったのです。「・・そうすれば、私達の牛が何をしたか、説明がつくかもしれない…・」
 
 
国際的な機関の有力者たちの知見に対し、私は疑問を感じます。なぜ彼らは、この裁判官のように正義に関し二重規準をもっているのでしょうか?これではたして平和がもたらされるのでしょうか?
 
 
人々の中には、他者を、空腹となれば獲物を襲うジャングルの獣のように脅かしている人がいます。彼は獲物を飽きるまで貪り食います。彼は自身を欲望に任せています。そのような状態で彼は、ポルノグラフィーのような堕落した放送を流すなどして自らの病を広め、人々の心に残っている純粋さ、徳を破壊しようとするのです。
 
あるアラブの詩人はこう言っています。
「狼が吠えた。私は仲間を得た。が、彼に対する恐怖で私の世界が狭まっていった。」
 
 
私達は今や、この世界がひとつの村か、宇宙を航行する一隻の船であると考えています。その船が、エゴイズムや堕落、抑圧の岩に衝突するのを避けるためにも、知識ある人、すばらしい知恵と価値観のために自らをささげる正義の使者の存在が必要なのです。それは信仰を持った人々を結束させ、全ての宗教が持つ素晴らしい性格によって構築された「建物」の青写真を作るためでもあります。彼らはやがて、誰もが入ることが出来、誰もが共に安全に暮し、どの部屋にも入ることが出来る「家」を創造することになるでしょう。
 
 
私はここで、世界中の学校向けに、世界の各宗教について解説した一冊の本を作ることを提案したいと思います。その本は人類愛、知識の重要性、知恵や自身の純化を説くものでなければなりません。ムハンマドは言われました。「全ての生きとし生けるものは神に属する。神が最も愛される者は、それらを最も愛した者である。」と。この本は、全ての神聖な宗教の預言者達が負った義務を示すものとなりましょう。神はこの義務について、ムハンマドに対し、クルアーンの中で次のようにこう呼びかけられておられます。
「私があなたを遣わしたのは、ただ全ての者に対する慈愛のみによるものである。
(第21章「預言者」107節)
平安が皆様にありますように。